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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5905号 判決

主文

1  被告らは、連帯して、原告和知正武に対し金一二七二万二五五八円及びこれに対する昭和五七年一月二〇日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  被告らは、連帯して、原告和知まどかに対し金一〇四〇万七五五八円及びこれに対する昭和五七年一月二〇日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

3  被告らは、連帯して、原告和知早苗に対し金一〇四〇万七五五八円及びこれに対する昭和五七年一月二〇日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

4  各原告のその余の請求をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は、被告らの負担とする。

6  この判決中、主文1、2、3項は仮に執行することができる。

7  各被告において、それぞれ原告和知正武に対しては金一二〇〇万円、原告和知まどかに対しては金一〇〇〇万円、原告和知早苗に対しては金一〇〇〇万円の担保を供するときは、それぞれその被告において当該原告との関係で前項の仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一1  亡洋子が昭和四九年一月二〇日死亡したこと、被告橋本が医師であること、被告病院が肩書住所地において、医療施設を経営すること等を目的とする者であること、亡洋子が昭和四八年四月「右尿路結石兼慢性胃炎、腸管癒着障害」なる診断により、被告病院に入院したこと、被告橋本が、亡洋子に対し、同年四月一三日、腸管癒着のため全身麻酔による開腹手術(すなわち「本件手術」)を施行したこと、はいずれも当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉によれば、請求原因1、(一)、(三)の各事実を認めることができ〈る。〉

二〈証拠〉を総合すると、本件手術を被告橋本が亡洋子に対して施行した当時、被告橋本は、外科勤務医として被告病院に雇用されており、同病院に常勤する二人の医師の一人として、一般外科及び整形外科の各診療に従事していたところ、亡洋子の主訴に基づいてなされた内科医である訴外平良眞豊医師の診断と自己の診断とを併わせ考慮し、亡洋子の腸管癒着を解消するためには、同女に対して開腹手術を施行すべきものと判断して、同女の諒承のもとに本件手術を実施したものであることを認めることができ〈る。〉

三そこで本件手術の実施につき、被告橋本に原告ら主張の過失が存したか否かの点を検討する。

1  被告らの主張によれば、要するに、本件手術当日午後一時五五分の全身麻酔導入後、午後二時二〇分には亡洋子の状態は安定し、適当な麻酔深度を得たので、麻酔管理を松崎多喜、広田けい子、坪根和子ら三名の看護婦にゆだね、手術開始、術中血圧脈搏等安定し、正常に経過、送気バツグによる補助呼吸施行途中何ら異常を認めず、同二時五〇分大網膜癒着部分を亡洋子の家族に示して説明、結紮切断した際、突然ガタンという音とともに亡洋子の全身硬直が生じたが、普通麻酔深度が浅い時生じるバツキングだと思い送気バツグを見たら、自呼吸停止の状態で次第に腸管粘膜にチアノーゼを生じる模様であつたので、直ちに手術を中止して麻酔器につきフローセン笑気を閉じ、酸素濃度を六リツトルに上げて強く送気バツグを押したが、全く送気不可能の状態であつたので、気管支あるいは声門部痙攣発作を起こしたものと判断し、ソルコーテフ一〇〇ミリグラムを管注、引続きネオフイリン四CC、テラプチク管注、試みに吸引用気管内カテーテルを挿入してみたところ、丁度気管チューブの長さより先方へ挿入することができず、何らかの原因によるチユーブ先端以遠の気管内閉塞を起こしたものと認め、気管内チユーブを抜管、マスクによる酸素送気を試みたところ、たちどころに送気可能の状態になり、気道閉塞は解除し、当初うつすらとチアノーゼを呈し始めた両手顔面等はたちまち正常に復した、というのであるが、更に事故の原因に関して、亡洋子の脳の一部において、発育の極めて悪い個所があり、生前知能が低く、脳細胞の其他の中枢、例えば呼吸、循環、血管運動神経系統等何処かの個所に、未成熟な欠陥個所があつて、この欠陥個所が麻酔剤により何らかの異常な刺激か負荷を受けて、本件のような突発事故となつたものと思われる、旨を主張している。

2  しかし、本件手術中、亡洋子にバツキングあるいは喉頭痙攣、声門部痙攣を生じたものではなく、また、本件における右の送気不可能がいわゆる腹膜ショックによるものでないことは、いずれも証人小島武(外科医)の証言と被告橋本本人尋問の結果によつて明らかであり、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、亡洋子に、頭部外傷、小児麻痺、癲癇、ヒステリー等痙攣発作あるいは痙攣そのものに結びつきあるいは結びつきやすい素質又は現症若しくは既往症の存在、ないしは後記認定の経緯による脳内酸素欠乏と結び付くような素質又は現症若しくは既往症の存在を窺わせるに足りる証拠はなく、更に亡洋子の知能が低劣であつたことや、亡洋子が、麻酔薬や本件手術に際して使用された薬剤に対して過敏な体質を有していたものと認めるに足りる証拠はない。その他被告ら主張のような特異体質や中枢性の欠陥個所なるものが亡洋子の脳に存在したことを認めるに足りる証拠もない。

3  もつとも、被告橋本本人尋問の結果中には、被告らの右の主張と同旨の供述部分があるけれども、証人平良眞豊の証言と被告橋本本人尋問の結果によれば、被告橋本本人の右供述部分は、いずれも、被告橋本の側に何ら非難されるべきものがないとすれば、前記原因としては、いかなることが考えられるか、との命題を設定して試みられた結果論的想定の域を出ないものであつて、右想定の前提となるべき的確な事実の存在を欠くものと認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない。)から、とうていこれを採用できないものである。

4  すなわち〈証拠〉を総合すると、次の各事実が認められる。

本件手術は、被告橋本による麻酔管理のもとに、昭和四八年四月一三日午後一時五五分全身麻酔導入のうえ、同日午後二時二〇分被告橋本による執刀が開始されたものであるが、当初は順調に経過し、亡洋子に対する全身麻酔(アコマ式全身麻酔装置、ラボナール三〇〇ミリグラム導入、気管内チユーブ三〇番挿管、フローセン・笑気・酸素混合ガスによる半閉鎖循環全身麻酔)の推移は良好であつた。そこで麻酔管理は、事実上看護婦の手にゆだねられ、被告橋本は、執刀を進め、無事腸管の癒着を剥離したので、手術場の外で手術の終るのを待つていた亡洋子の夫である原告正武及び右正武の母和知和子の両名を手術場に招き入れ、右両名に対して、腸管の癒着部分の剥離を終えたことを告げるとともに、亡洋子の腸の部分を持ち上げて、“同女の腸は太い”などと語つたが、その際被告橋本は、右の持ちあげた腸の部分が変色してチアノーゼの様相を呈していたことに気付いた。驚いた被告橋本は、介助の看護婦に対し、酸素は入つているか、脈はあるか、呼吸は?と矢継ぎばやに尋ねたところ、脈も呼吸も止まつている、との答えがあり、次いで被告橋本において亡洋子の顔及び両側、手、指等をみると、同女の右各部分にもまた中等度のチアノーゼを生じていた。他方、これと前後して、亡洋子の頭部近くにいた看護婦の阿部康子は、亡洋子の自呼吸が停止していることに気付いた。

被告橋本が急いで麻酔器のもとにかけ付けたところ、送気バツグはふくれあがつていて非常に硬く、何度押しても凹まず、バツグによる送気は困難であつた。このように亡洋子に対する送気の途絶えていることがわかつたため、被告橋本は、ソルコーテフ等の緊急薬剤の投与を看護婦に指示して行わせるとともに、吸引チユーブを気管チユーブに挿入しようとしたが、挿入できなかつた。

他方、呼吸も脈も止まつている、と聞いて驚いた原告正武の母で、かつて看護婦をしていたこともある和知和子が亡洋子の枕元に走り、亡洋子の脈をとつてみたが脈はなく手は手首から甲の方へと紫色に変色し、指は黒くなつてきていた。

そこで被告橋本は、気管チユーブをはずしたうえ、マスクだけで酸素を送り、人工呼吸や心臓マツサージ等を行つたところ、送気が可能となつたので、強力に酸素を吸入させたところチアノーゼは直ちに寛解し、みるまに正常に復した。右の間、一時亡洋子に対しては酸素の供給が途絶したが、その時間は、三分間以内にはとどまらず、少くともこれをかなり越える時間にわたつた。

亡洋子が正常に復したので、被告橋本は、内科医である五十嵐医師の協力を得て、亡洋子に対する卵管結紮術を施行し、腹部の縫合を終えた後、午後三時五〇分手術を終了し、午後四時二〇分亡洋子を病室へ戻して、酸素を止めたところ、亡洋子は興奮状態となつた。そして、一たんは、オペリジン一アンプルの注射でおさまつたかにみえたが、同五時三〇分から痙攣様の状態となつたので、亡洋子に対する酸素の供給が再び開始されることとなつた。

その後亡洋子の意識は回復せず、意識のないまま体動が激しくなり、呼べばかすかに反応する様子であつたが、同午後九時二五分には唸り声をあげ、両下肢は硬直し、両手にはごく軽く力が入る状況であつた。もつとも亡洋子の麻酔よりの覚醒は遅いとみられたものの、血圧には異常なく、瞳孔左右同大、対光反射迅速、やや呼吸速迫あり、頻脈はなく、意識は混濁し、嗜眠傾向あり、項部硬直なし、と被告橋本により診断された。

その後、亡洋子の麻酔が醒めないのでみてくれるように、との依頼のもとに、同日午後一一時三〇分ごろになつて、麻酔を専門とする昭和医科大学の五十嵐義男医師が招かれたが、同医師は、亡洋子を五分か一〇分診たうえ“意識は回復していないが、昏迷状態にあるので、これならば醒めるが、意識回復に全力をあげるように”といつて帰つた。しかし同医師が、翌早朝再び亡洋子のもとを訪れてみると、状況は少々悪くなつている、とみられたので、同医師は、麻酔だけではなく、全般的な何かがあるのではないか、との印象をもつてその場を辞去した。その後亡洋子の一般状況に変化はなかつたものの、亡洋子の唸り声、全身痙攣、激しい体動、四肢硬直、興奮状態等は、途中に一時の小康はあつたものの、鎮静化することなく続いた。

5  もつとも被告橋本本人尋問の結果中には、亡洋子には、午後二時五〇分にガタンと音がして、突然気管支閉塞が生じ、被告橋本においてこれに気付いた旨の供述部分があり、更に前記乙第二号証中のカルテの記載及び被告橋本本人尋問の結果中には、右事態の解消までには、せいぜい二、三分以下の時間を要したにすぎない趣旨の記載部分及び供述部分がある。

しかし、ガタンと音がして突然亡洋子に気管支閉塞が生じ、被告橋本においてこれに気付いた旨の右供述部分については、右のカルテ、及び右乙第二号証中の麻酔記録、並びに前記乙第四号証(手術記録)中のいずれにも全く記載されてはおらず、被告橋本本人が本人尋問中で供述するだけであるが、この間の状況の推移について、被告橋本の記載に係るカルテには、「家族(母及夫)を呼び説明、なほ卵管結紮の希望あり、取かからんとするに突然腸のチアノーゼ起る、急ぎ顔及両側、手、指をみると中等度のチアノーゼ……」と述べられており、また、右カルテ同様被告橋本の記載に係る前記手術記録には、「状況を家族に説明し卵管結紮術の希望を聞きたるに突然チアノーゼが起り、気道の閉塞が起る。バツグによる送気全く不能、吸引チユーブを気管カテーテル内に送入するとチユーブより先に入らず、気管痙攣を起したるものと診断し、ソルコーテフ一〇〇Mg、ネオフイリン10CC注入、なほ送気不能のため気管チユーブを抜去すると突然痙攣寛解し送気可能となる。懸命に送気を続けチヤノーゼ直ちに消失す。」と記載されているのであつて、右の各記載に照らすと、被告橋本は、開腹後の腹腔内の腸をみてチアノーゼの発現に気付いたものであり、物音や亡洋子の硬直等を知つた後にそのチアノーゼに気付いたものではないことが認められるから、被告橋本の右供述部分はこれを採用しない。

また、右事態の解消までには、せいぜい三分以下の時間を要したにすぎない旨の右記載部分及び供述部分に関しては、前記カルテにはその旨の被告橋本による記載があるものの、同じく被告橋本記載の前記手術記録にはその旨の記載がなく、また、前記麻酔記録及び麻酔記録表には、気道閉塞、二、三分間なる記載があると同時に、午後二時四〇分及び午後二時五〇分にはそれぞれ、血圧及び脈搏測定が行われ、右午後二時五〇分にはソルコーテフ一〇〇Mgの投与がなされ、午後三時七分には血圧及びテラプチック一〇〇Mg、ネオフイリン一〇Mの投与がなされた旨の記載があり、午後三時一五分にも血圧及び脈搏測定がなされ、ソルコーテフ一〇〇Mgの投与がなされた旨の記載があるが、午後二時五一分から午後三時六分までの間に血圧や脈搏の測定あるいは薬剤の投与がなされた形跡はうかがえず、他方午後二時五〇分から午後三時一二、三分ころまでマスクによる補助呼吸が行われた記載がなされているほか、看護記録には、午後二時五〇分に血圧測定とソルコーテフの投与、午後三時〇七分テラプチツク静注、ネオフイリン一〇Mgの投与がそれぞれ行われ、午後三時一五分には血圧測定及びソルコーテフの点注が行われた旨の記録があることがそれぞれ認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない。)ことをも併せ考えると、午後二時五〇分を過ぎ、午後三時一五分に至る間には、血圧及び脈搏の測定がなされ得ず、かつ、テラプチツク及びネオフイリンの投与を必要とする事態が亡洋子の身辺に発生していたこと及び亡洋子に対する酸素供給の途絶が午後二時五〇分に始まつたとは必ずしもみられないことが窺えること、及び〈証拠〉によれば、人体におけるチアノーゼの発生は、一般にその呼吸すなわち酸素の供給途絶後直ちにあらわれるものではなく、麻酔下では約五分間以上を経過してはじめて発現することとなるのが一般であることが認められることを総合すれば、亡洋子に対する酸素の供給途絶が、被告橋本においてこれに気付く以前の時間とこれを解消するに要した時間を合算して三分以内にとどまつたものとはとうてい考えられないのであつて、三分間をはるかに超え、一〇数分間程度には達したものと推認すべきものである。

6  ところで、脳に対する一〇分間程度にもわたる酸素供給の途絶は、いうまでもなくアノキシア又は重いハイボキシアの原因となり、人をして死に至らしめ、あるいは死に至らしめないまでも、脳に対する重篤な障害を惹起するおそれがあることは、ひとり医師のみならず一般にもよく知られたところである。

しかも、脳に対する酸素供給途絶に基因する障害についての後遺障害の発現が、必ずしも、右途絶の解消後直ちに、あるいは日ならずしてみられると定まつたものではなく、一たんは酸素供給が回復されて外見上正常に復することがあつた場合においても爾後日を経て後遺症として発現することもあり得るのであつて、このことは、〈証拠〉から明らかであり、医師としては、右の点についての配慮をも怠つてはならないものというべきである。

従つて、自ら麻酔と手術を管理して、患者である亡洋子を前記認定のような全身麻酔下においたうえ、同女に対して本件手術を施行する医師である被告橋本としては、右の患者に対する恐らくは数分間ないしはそれ以上にわたる時間に及ぶ酸素供給途絶といつた致命的事態が生じないよう麻酔装置全般と患者の容態の変化に対して細心周到な注意を用いつつ、右手術の施行に当たらなければならないのである。

すなわち、麻酔進行時には、患者はその生体の自然作用に攪乱を受けて平常と異なる挙措をするものであつて、これを気道に関していえば、自呼吸機能も著しく抑制されるのであるから、麻酔下に手術を施行する医師としては、事前に麻酔器具等諸機械器具の点検、管理を行うのみならず、術中においてもその適切な稼動がなされるかどうかの点検、管理をなし、気道の確保を適切にするとともに、患者の容態の推移にも周到な配慮を用いるべき業務上の注意義務がある。しかるに、前記の如く被告橋本は、術中には看護婦らに重要な部分をまかせきりにして、その間の適切な管理をせず、そのため、麻酔器具等に生じた異常の発見を遅れさせ、ひいては適切な気道の確保(従つて酸素の供給等)をはかりえない事態を発生させた。このような事態の発生は、他に特段の事情のない限り、麻酔管理と手術管理を併せ行いつつ手術を施行していた被告橋本に、右の注意を用いるについて欠ける点すなわち麻酔管理上の過失が存し、かつ、同時に右の過失ある麻酔管理下において手術を施行した過失をも併せ存したものと推認するのが相当である(したがつて、原告ら主張の請求原因中におけるその余の過失の存在に関する主張の当否についての判断は、以下において述べる点を除き省略する。)。のみならず、不幸にして右のような不測の事態を生じたような場合には、アノキシアあるいはハイボキシアに関しての配慮をも忘れることなく、また事態発生後における患者の余後に対する万全の留意を怠ることなく、仮にも脳内への酸素供給不足の事態が更に続くことによつて脳内への酸素供給途絶に基因する後遺障害の発生を促進したり、発生した後遺障害を悪化させたり、その回復を阻害したりすることのないよう細心の注意をしなければならない。

しかるに被告らの全立証その他本件全証拠によるも、被告らが、何ゆえに右のような恐らくは一〇分間にもわたる亡洋子への酸素供給途絶の事態が生じたかについて、麻酔装置全体ないしは個々の機器、付属品等々にわたる不具合の存否ないしは麻酔管理に問題がなかつたかどうかという観点からする十分な検討を、その後においても行つたことを認めるに足りない。もつともカルテの記載及び被告橋本本人尋問の結果中には、亡洋子に対する送気途絶後気管チユーブを調べてみたが異常がなかつた旨の記載及び被告橋本本人の同旨供述部分があるけれども、右の調べた内容を具体的に明らかにするに足りる証拠はないから、右の記載及び供述部分をもつて、気管チユーブに問題のなかつたことを裏付けるに足りるものとすることはできない。

また、証人五十嵐義男、同平良眞豊の各証言及び被告橋本本人尋問の結果中には、右のいわば異常事態について、被告病院は、院長と被告橋本とが意見を交換したり、昭和医科大学から麻酔科の五十嵐義男医師あるいは内科の坂本医師を招いて診断と意見を求めたところ、右の意見として、被告橋本が右坂本医師から脳血管脂肪栓塞あるいは癲癇を疑う趣旨のことを病院内の廊下で耳打ちされ、また、右五十嵐医師からも麻酔に問題はなく、特異体質の存在を示唆する趣旨の意見を聞かされたことが認められるけれども、証人五十嵐義男、同平良眞豊の各証言、被告橋本本人尋問の結果によれば、右両医師の意見は、いずれも被告橋本の認識と処置が正当であつて、医療の側に過誤とみるべきものが存しないとすれば、との前提下に述べられたものであつて、前提事実を確定しないでなされた憶測を出るものではなく、それ以上に右の異常事態の発生、特にそれが医療の側に何らかの過誤が存しなかつたかどうかを問題としたうえでの客観的調査、検討には程遠いものというほかないから、右五十嵐、坂本両医師の意見は、これを客観的な判断として採用すべくもないのである。

更に、被告橋本本人尋問における同被告の供述によれば同被告が亡洋子に対する酸素供給の途絶に気付いた直後の時点において、同被告は、気管チユーブが気管内に挿入できなかつたため、気管部に痙攣が生じていた、と考えたというのであるが、〈証拠〉によれば、この時点での気管部の痙攣解消の目的でなされたネオフイリン、テラプチツク、ソルコーテフ等の投与は奏効せず、またバツグを押しても送気は全く不可能の状況のままに推移して送気途絶は解消されず、更に吸引チユーブをチユーブ内に入れても先がつかえていたのに、気管チユーブを外して、マスクから直接酸素を送気したところ、たちまちチアノーゼは寛解したことが認められ〈る。〉のであるから、それ以前からの恐らくは一〇分間ほどにわたる酸素供給途絶の理由が、果して被告橋本のみるように、亡洋子の気管部の痙攣の故であつたかどうかは全く疑わしいことといわざるを得ないのであつて、むしろ前記認定の事実関係によれば、気管チユーブの先端部に何らかの不具合が存していたために前記認定のような亡洋子の酸素供給途絶の事態を生じたものと推認される。

7  ところで、〈証拠〉を総合すると、被告橋本が、手術場から病室に帰つた亡洋子の予後について、前記の観点からする格段の留意を払つた形跡はなく、かえつて、手術終了後の酸素供給を時に中断し、亡洋子も一時僅かな時間小康状態を示すことがなくはなかつたにもせよ、おおむね意識も正常ではないままに、手足や体を硬直させて唸り声をあげ、体を弓なりに反り返らせてブリツジ様の姿勢でうめくとも咆えるともつかない動物様の咆哮をくりかえすのに対して、被告橋本及び被告病院の特段の対応もないままで事態が推移し時を経たため、案じた家族の希望で、亡洋子は昭和四八年四月二四日東邦医科大学病院に転院して、同病院のICUによる治療を受けるようになつたが、転院後、亡洋子の痙攣、体動は、更に激化し、意識は遂に回復をみず、容態は悪化の一方で経過し、遂に翌昭和四九年一月二〇日に至つて死亡し、東京都監察医務院医師による解剖が実施された。そして右解剖所見によれば、亡洋子は、化膿性気管支肺炎を直接死因、更に脳の急性腫脹後の皮質荒廃をも死因として死亡したものとされたが、脳については脳水腫性腫脹、左右前頭葉萎縮、左右側脳室Ⅲ、Ⅳ脳室拡大、半卵円中心硬化、後頭葉白質硬化、左右基底核萎縮、大脳皮質第Ⅲ層神経細胞脱落、錐体路の脱髄なる所見が得られた。右の解剖所見は、亡洋子の死亡時の脳には重度の荒廃が存し、これらはいずれもかつて脳に無酸素状態が存したことを窺がわせるものであることがそれぞれ認められる(亡洋子が昭和四九年一月二〇日に死亡したことは当事者間に争いがない。)。

8 以上までに認定判示したところを総合すれば、右の洋子の脳における重度の荒廃及び死因の一つとされた脳の皮質荒廃は、前記認定のとおりの被告橋本の麻酔管理の過失とこの過失ある麻酔管理下での全身麻酔のもとにおける過失ある手術施行の際の亡洋子に対する酸素供給の途絶のために発生したその脳内の無酸素状態の継続とその後これに対して被告橋本の適切な解明及びこれに基づく速かな措置、加療がなされなかつたこととが相まつて、脳内の破壊を進行、悪化させ、よつて亡洋子に対し、不幸な死の転帰をもたらすに至つたものと認めるほかはない。

9  なお、被告らは、本件手術後の経過について、「一五日には、亡洋子の不穏状態は漸減し、意識を回復し始め、各種の反応を表現、呼掛に対し声がする方へ顔を向けるようになり、翌一六日には外部の話しかけに応答するまでに回復し、笑顔をみせて感謝の情を表わし、経口的に水分を摂取したが言語障害を遺残した。一七日には意識回復し、空腹感を示し、医師らの回診に笑顔で対し、希望により好物のウドンを一杯摂取せしめた。また、二人の子供と病室で対面して喜び会い、被告橋本も夫より感謝の言葉を受け、経過良好の一日を過ごした。ただ、開腹術後のことであり、起立歩行までには至らなかつた。一八日には更に食慾を示し、正確に応答するものの多少智能の低下を疑わしめる症候があり、視線の不安定がどうも気になる症状となつた。ところが一九日に至り夜半より突然間代性の痙攣発作を数回くり返り、意識障害を来した。項部硬直があり、対光反射減弱、瞳孔やや散大の異常事態を再燃、痙攣はあたかも癲癇の重積発作に類似して翌二〇日に及び、発作間隙には、眼振、不明瞭な発声を行い、予後不良、頭蓋内合併症を疑わしめた。」旨を主張するのと併せて「解剖所見は、脳細胞に無酸素症状が顕著である、ということであつたが、被告病院で手術を行つたのは、昭和四八年四月一三日であり、死亡解剖せられたのは、翌年一月二一日頃ということで、約九か月を経過しており、たとえ手術時に起こつた無酸素症でもそれ程長く脳細胞に症状が遺残しているものか疑問である。手術後は一時酸素を多量に与えた時期もあり、脳細胞も次第に変性していくものと思われるからである。」と述べ、更に「むしろ手術後何度も何度もくり返した痙攣発作、重積癲癇発作をくり返していくうちに、次第に脳の荒廃を来し、次第に無酸素症の状態に陥ち入つたものではないかと思われる。」と主張しているので付言するに、なるほど亡洋子が癲癇様の発作をくり返したことは、前記認定の事実からも明らかであるが、しかし一たん不可逆的変化を遂げて死滅した脳細胞が、一時多量に酸素を与えられたからといつて賦活再生すべくもないことは、医学上一般に知られたところであるばかりでなく、脳に対する酸素供給途絶の後遺症状が途絶後あるいは途絶解消後速かに発現するものとは限らないことも既に述べたところである。そして他方亡洋子の死亡当時の脳の状況が、被告らの右の主張における推定のとおりであることを根拠付けるに足りる事実関係を認めるに十分な証拠はなく、被告らの右の点に係る推定も、ひつきよう単なる憶測に止まるものといわざるを得ない。

10  更に、被告らは、術後亡洋子は、正確に覚醒しており、第三、第四病日には再度覚醒して子供達と面会して喜び合い、ウドンを一杯摂取している経過がある、とも主張しているが、亡洋子の覚醒が正確なものであつたことを認めるに足りる証拠は何もなく、かえつて前記認定の事実と前記乙第二号証中の看護記録中の記載、証人五十嵐義男、同阿部泰子、同和知和子の各証言、原告正武本人尋問の結果によれば、亡洋子は完全な覚醒をみないまま、僅か一、二日中の一部僅かな時間帯におけるいわば束の間の小康状態を得ただけで、その後は日を追つて悪化の一途を辿つたものであることが明らかであり、右の小康状態というのも、正確な、あるいは完全な覚醒下における被告ら主張のようなものであつたかどうかは甚だ疑問であつて、受動的反射としての対応あるいは亡洋子の口中に家族がその手に持つたスプーンによつて差し入れるスプーン一、二杯程度のジユース、茶をあたかも小児のように喫し、ないしは家族が箸によつて切りきざんだウドンの小片を反射的に又は十分な意識を欠いたままで嚥下、喫食する程度のことが、亡洋子の日常中、一、二日程の間に一、二回あつたか、という程の、いわば頻死に近い重病人の日常の一駒と程遠くはない状況がみられたというだけのことであつて、とうてい「覚醒して子供達や夫と面会して喜び合い、ウドンを一杯摂取する。」といつた表現をもつて理解感得されるような状況ではなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないから、被告らの右の主張も失当である。そして、亡洋子が、本件手術を受ける以前に「体質的な痙攣性素因(恐らくは癲癇)」等を有していたことを窺うに足りる証拠のないことも既に説示したところであるから、亡洋子に、右の素因なるものが存していたことを前提とする、「本件はむしろ患者の体質的な痙攣性素因(恐らくは癲癇)がたまたま手術中に第一回目の発作を起こし、それが誘因となつて術後引続き幾度もの重積発作をくり返してきたものと考えられる。」旨の被告らの主張も、採用の限りではない。

四以上によれば、被告橋本は民法七〇九条の規定に基づき、また、被告病院は同法七〇九条、同七一五条の規定に基づき、被告橋本の前記判示に係る過失により、亡洋子が被つた損害及び原告らが被つた損害を、いずれも連帯して賠償すべきものといわなければならない。

五損害について判断する。

1  亡洋子の休業損害及び逸失利益

前記認定の事実と弁論の全趣旨によれば、亡洋子は、本件手術を受けた昭和四八年四月一三日から死亡に至る昭和四九年一月二〇日までの少なくとも原告ら主張に係る二八二日の間を、被告病院又は東邦医科大学病院に入院して加療を受けたため稼働できなかつたものであつた。また、原告正武本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、亡洋子は、右死亡の当時、満三二歳の健康で明朗な女子であり、かつ、日本航空生活共同組合食堂に調理師として勤務する夫と昭和四二年に婚姻し、後記二人の子供を得て円満な家庭を営むいわゆる専業の主婦であつたから、その稼働年令は、満六七歳に達するまで、少なくとも三五年間を残し、この間主婦としての稼働が可能であつたこと、昭和四八年の全産業女子労働者の平均賃金が年間金八四万五三〇〇円であること、昭和四九年から昭和五五年までに至る全産業女子労働者の平均賃金が年間原告ら主張の金額を超えないこと、生活費が右平均賃金の二分の一を超えることはないことがそれぞれ認められる。

右によれば、亡洋子の休業損害及び逸失利益は、休業損害につき金六三万二九五〇円、逸失利益につき金一八七六万九七二五円の合計金一九四〇万二六七五円である。〈中略〉

2  亡洋子の慰藉科 金六〇〇万円

3  原告ら三名は、それぞれ亡洋子の被つた右の損害金合計金二五四〇万二六七五円につき、その三分の一である金八四六万七五五八円宛を相続したものというべきである。

4  原告正武の損害

(一)  入院雑費

前記のとおり、亡洋子は、本件手術を受けた昭和四八年四月一三日から死亡に至る昭和四九年一月二〇日までの少なくとも原告ら主張に係る二八二日間を、被告病院又は東邦医科大学病院に入院し加療を受けたが、このため、原告正武は、入院雑費として、一日当り金五〇〇円の合計金一四万一〇〇〇円の支出をして同額の損害を被つたことが認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  付添費用

全体を通じて、少なくとも一日当り金二〇〇〇円の割合により計算した金五六万四〇〇〇円が相当である。

(三)  葬儀費用

原告正武は、亡洋子の夫として、亡洋子についての葬儀を主宰し、右葬儀費用として、金四〇万円を出捐し、同額の損害を被つたことが認められる。

(四)  慰藉料

原告正武が、その妻である亡洋子を喪つたことによる慰藉料は金二〇〇万円と認めるのが相当である。

5  原告まどか、同早苗の各損害

原告まどか、同早苗が、その母である亡洋子を失つたことによる慰藉料は、各金一〇〇万円が相当である。

6  よつて、原告正武の以上までの損害額は、計算上、金一一五七万二五五八円、同まどか、同早苗の損害額は各金九四六万七五五八円となる。

7  弁護士費用

原告らそれぞれにつき、右認容された額の一割弱に相当する原告正武につき金一一五万円、同まどか、同早苗につきそれぞれ金九四万円をもつて被告らの負担すべき右各原告らの被つた損害であると認めるのが相当である。

六結論〈省略〉

(仙田富士夫 生田治郎 山田貞夫)

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